"くすりや"まめ太の処方箋

地方の病院で"くすりや"やってます

終戦記念日だし、ヒージーチャンのことでも書くか

最近、床で寝落ちすることが多くブログが書けていませんでした。書きたいネタは山ほどあって忘れないように紙に書いているんですが、最近はLaboの学会準備や実験が忙しくなかなか時間が難しいですね…

 

 

さて、本日は終戦記念日。ヒージーチャンのことでも書きます。

まめ太の父方の祖母の父、以下ヒージーチャンはまめ太が5歳くらいまで生きていたんですが、ほぼ記憶にありません(ただなぜか先に亡くなった相方のヒーバーチャンは覚えているのと、どちらかの葬式は記憶にある)ヒージーチャンはクソ田舎の大工だったんですが、クソ田舎者だったのでまめ太母が結婚して挨拶に伺ったとき、勢い余ってスーツにネクタイでキメてきたそうです。

 

数年前、祖母から聞いた話です。

ヒージーチャンは太平洋戦争末期に赤紙が来て南方戦線へ送られました。ビルマだったそうです。そして終戦後引き揚げてきたんですが、もう最後のほうだったそうです。そしてその引き揚げ船の中では「今までエラそうにしてた上層部を海に突き落とす」ことが行われていた、そして「戦死したんですよ」と帰国後言っていたと。ヒージーチャンは生前語っていたそうです。

 

 

もうヒージーチャンは随分前にあの世の住人になったので真偽を確かめることはできませんが、おそらく事実なんでしょう。

 

 

 

「下の者(部下)をないがしろにするといつか足元をすくわれるのかもしれない…」

 

世の中、先輩に媚びを売っても後輩を粗末に扱う人は結構いる。でもこの話を聞いてから(というか元からそんなことはないですが)自分は後輩は決してぞんざいに扱わないようにしようと決めています。

 

小学生の頃、図書室にあった「ビルマの竪琴」を借りたもののよくわからずロクに読まずに返却しました。いつか機会があればヒージーチャンが見たビルマの風景を思い浮かべながら読みたいものです。

 

 

 

今日も読んでいただきありがとうございます。またのご訪問お待ちしています!

※なかなか書けませんが、できる範囲でぼちぼちブログを書いていきますのでよろしくお願いします。